『ニッポンの海外旅行』山口誠(2010)ちくま新書

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管理者Sの読書録 #2

バックパッカーを通じた「自分探し」の質の変化

本書は、『地球の歩き方』などのガイドブック分析(メディア分析)を通して、若者による海外旅行、特にバックパッカーの内実の変化を考察した一冊です。バックパッカーの質の変化を、通時的に3つのフェーズに区分するなど、興味深い指摘が多くなされていました。また、現代の若者旅行の旅行形態を「孤人旅行」と名付けていたのも、参考になりました。

他方で、メディア分析という研究手法の限界、ないしバックパッカーにフォーカスしすぎた(=若者は「貧乏旅行」をするものだというステレオタイプが前提にあった)が故に、「海外旅行そのものが魅力を失っていった内的要因(p. 197)」を探るという、本書の核心的問いに十分応えられていなかったように思います。また、それぞれの論点はとても面白いのですが、それらを客観的に肉付けする根拠が薄く、諸種の議論の展開が「綱渡り」的な観を受けたところです。

本書の議論で最も面白かったのは、以下の指摘です。

沢木耕太郎の『深夜特急』に魅せられた若者が『ここではないどこか』を求めて旅をすることで『自分探し』をおこなったのに対し、どこに行っても理想郷などあり得ず、どこにいても自分がいるところに『日常』が生まれてしまうことを知った90年代の蔵前の作品は、[中略] 異文化体験によって、個性ではなく日本人性のようなものを自分のなかに(再)発見する旅、つまり『日本人探し』という方法で『自分探し』をする日本の若者のバックパッカーの旅が、そこでは観察できるのです。

山口誠(2010)『ニッポンの海外旅行』

著者は、現代の若者旅行者の特徴として、旅先においても「日常」と同じようなことをし、「日常」と同じように振る舞う存在、つまり「日常」と「非日常」の関係を融解させた観光行動をとる存在であることを指摘します。これは、Feifer(”Going Places“)の言う「ポスト・ツーリスト」の議論と類似しています(実際、著者は、別稿で「ポスト・ツーリスト」について言及しています(JJCS 48(2): 81-92 (2020) (jst.go.jp)))。また、どこに行っても「日常」を感じる若者(ポスト・ツーリスト的な若者)たちの存在という切り口から、「個人的アイデンティティ」から「集合的アイデンティティ」の渇望へと、その対象が変化したとの論点は、(実証的であるかどうかは別として)面白い指摘でした。

ただ、この点について1つ意見するならば、最も非日常性を与えるであろう海外旅行において、現代の若者たちが「日常」的な振舞いをするようになったからこそ、若者の「海外旅行離れ」が進んだとした方が、核心的問いに対する解としてはすっきりするように思います。要するに、海外旅行に対する刺激(欲望の追求)が薄れてしまったということでしょう。そこに、「歩かない」個人旅行云々の指摘は、不要と思います。

現在では、旅行会社の「スケルトン・ツアー」よりも、自力でLCCや宿泊施設を手配する方が安くなりました。その意味で、旅行中の「値段の違い」が意識されるようになったという著者の指摘は的を射ていますが、「歩かない」個人旅行が増進されるかというと、そうとは言えない部分もあるでしょう。メディア分析とは違う、また別の視点から、著者の論点整理を試みたいものです。

『ニッポンの海外旅行 若者と観光メディアの50年史 (ちくま新書)』(山口誠)の感想(19レビュー) - ブクログ
『ニッポンの海外旅行 若者と観光メディアの50年史 (ちくま新書)』(山口誠) のみんなのレビュー・感想ページです(19レビュー)。作品紹介・あらすじ:「最近の若者は海外旅行に行かなくなった」といわれて久しい。二十代の出国者数は一九九六年にピークを迎え、十年あまりで半減した。それを若者の変化だけで問題化するのは正しくな...
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