『陰翳礼讃』谷崎潤一郎(1933)中央公論新社

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管理者Sの読書録 #3

陰翳から見た日本文化論

われわれ東洋人は何でもない所に陰翳を生ぜしめて、美を創造するのである。『搔き寄せて結べば 柴の庵なり 解くればもとの 野原なりけり』と云う古歌があるが、われわれの思索のしかたはとかくそう云う風であって、美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える。

谷崎潤一郎(1933)『陰翳礼讃』

『失われた夜の歴史』の中でイーカーチが言うように、西洋人にとっての「闇」は、「恐怖」の対象でありました。自然のサイクルとしてやってくる「夜」という時間、視覚が取り払われたこの時間は、西洋人にとって克服しなければならない命題として存在し続けていたのです。近代化に伴う照明の発明は、彼/彼女らが長年抱えた、かかる課題を解決する最も有効な手段となりました。

では、日本人の場合はどうであったのか。谷崎潤一郎によると、われわれ日本人は、無理矢理に暗闇を取り払おうとするのではなく、明暗の対比を重視することを通して、文化観を育んできたと言います。建築様式、食器、料理、芸術、女性など、「日本文化」と称される諸種のものが、「陰翳」との深い関係性の中から構築されてきたと、谷崎は言うのです。若干、議論が飛躍しすぎている点も否めませんが、かつての日本人が、進んで「闇」を放逐しなかったのは事実でありますし、そこに西洋との差異を見出そうとする谷崎の論調は、興味深いものでした。

1980年代頃から、国際的に「光害」の問題が叫ばれるようになりましたが、その批判の槍玉として常に上がるのが、アメリカと日本です。国際論文において日本が、「光害大国」として警鐘を鳴らされている一方で、当の日本人は、「光害」に対して無頓着なようです。そして悲しいことに、谷崎の生きていた時代から、すでに日本は「光害大国」であったようで、このことはアインシュタインにも指摘されています。

近代以前の「陰翳」の慣習に対する反動が大きかったからでしょうか、維新後の日本は、僅かな暗闇をも徹底的に排除し、谷崎の言う、日本の「美」なるものをかき消すことに力を入れました。

今日の室内の照明は、書を読むとか、字を書くとか、針を運ぶとか云うことは最早問題でなく、専ら四隅の蔭を消すことに費やされるようになったが、その考は少くとも日本家屋の美の観念とは両立しない。

谷崎潤一郎(1933)『陰翳礼讃』

「明るい生活」が繫栄の証であり、望むべき姿であるというような意識へと、国民が改変されていったのです。谷崎は、そうした日本社会のあり様を冷笑し、陰翳の美への回帰を、本書の中で説いています。光害に興味を持っている僕にとっては、当時の光の使われ方に関する後半の記述が、特に面白いものでした。

主題とは関係ないですが、谷崎が女性の身体を「衣裳を着けるための棒であって、それ以外の何物でもない」と記述しているのは、今の時代だとさすがに叩かれることでしょう。随所に感じたことですが、男/女、東洋/西洋の二項対立が強く意識されすぎていて、読みながら少し辟易としてしまいました。

『陰翳礼讃 [Kindle]』(谷崎潤一郎)の感想(23レビュー) - ブクログ
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