『ヨーロッパ「近代」の終焉』山本雅男(1992)講談社現代新書

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管理者Sの読書録 #5

近代批判論の入門書——「精神の無機質化」と近代社会

近代の偽善性や社会関係および自然環境の崩壊を生み出していくその根底には、合理主義という名の「精神の無機質的傾向」がある。科学・技術への絶対的信頼や経済効率最優先の神話のために、いかに環境が瀕死の状態におかれたか、地球的規模での人間関係がいかに危ういものになっているか。これらをもたらしたのは、われわれ自身のなかの、共存への生活意識の欠落、すなわち無機質化した精神にほかならない。

山本雅男(1992)『ヨーロッパ「近代」の終焉』

本書『ヨーロッパ「近代」の終焉』は、殊にイギリスを事例に、「宗教」「労働」「エスニシティ」「南北問題」「ジェンダー」「環境」「知の体系」「民主主義」など、多岐にわたるトピックが手際よくまとまった、近代批判論の入門書です。トピックは多岐にわたりますが、近代における「進歩の歴史観」と「合理主義」の批判を軸に議論が進んでおり、近代に形成された固定的な知へのあり方——「真」と「偽」をはじめとする二項対立の思考——を問い直し、特殊性・個別性へのまなざしを向けるべきだという、いわゆるポストモダン的な行論になっていた一冊です。またアリストテレスが極端な男性中心主義者であったこと、西欧人が「東」を重視していたことなどは、勉強になりました。近代批判論の入門書としてはピッタリなのですが、如何せん参考文献リストが極めて乏しいので、本書から芋蔓できないのが残念なところです。また論点が多岐にわたっていたために、却って結論が不明瞭であったのが物足りなさを感じたところでした。

真新しかった概念としては「精神の無機質化」なるもので、消費社会論に特徴づけられる「欲望」の創出および追求によって共同体の人間関係が崩壊し、そうした統一性のない猥雑な社会が導出されたことで全体主義的な社会主義に期待が集まったこと、他方でこうして立ち現れた社会主義国家も、結果として反資本主義というスタンスしか取れなかったために崩壊したと、近代社会から現代社会に至るまでの一連の流れを「無機質な観念」なる思索でまとめ上げていたのは興味深かったです。他方で、観光研究の文脈で言うと、わが国では戦後もしばらくは「マスツーリズム」が幅を利かせたわけで、確かに村落共同体における人間関係は崩壊したかもしれませんが、異なる文脈での人間関係は継続していたものと思われますし、現代社会でも「リアル」な人間関係は後退しているかもしれませんが、「バーチャル」な共同体は極めて力を持っていますので、必ずしもわれわれの精神が「無機質」であるかというと、程度の違い、文脈の違いになるのではとも感じたところです。

これは自戒の念も込めてですが、人文系でしばしば見られる「近代合理主義」への批判は、批判するのは容易いものですが、近代科学に代替できるだけのプランというのも準備すべきところです。人文社会系と自然科学系両方の学会に入っている身としては、ただデカルト的な「近代科学」批判を連ねるだけでは、自然科学系の方々に不快な思いをさせるだけではと感じます。「リゾーム」「混沌」は結構ですが、その行く末が「何でもあり」になってしまうと、やはり「科学」としては不味いのではと思いますし、実際、人文系の諸研究は行き詰っているように見えます。今考えてみますと、ポストモダンに代表される人文系の「近代科学」批判というのは、批判を通して「人文〈科学〉」なる「近代科学」のラベルを希求した、一種の「ツンデレ作戦」だったのかもしれません。今となっては後の祭り、自分の首を絞めているだけかもしれませんが…

『ヨーロッパ「近代」の終焉 (講談社現代新書)』(山本雅男)の感想(31レビュー) - ブクログ
『ヨーロッパ「近代」の終焉 (講談社現代新書)』(山本雅男) のみんなのレビュー・感想ページです(31レビュー)。作品紹介・あらすじ:「近代」の旗標の下、世界史をリードしてきたヨーロッパに起きている大変動。東欧市民革命、ソ連の消滅、EC統合…。合理主義、ヒューマニズム、科学への信頼など、「近代」を支えた価値のゆらぎと行...
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