『観光教育とは何か』前田武彦編(2013)アビッツ

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管理者Sの読書録 #9

観光教育における理想と現実

21世紀におけるわが国の発展においては、「観光立国」の実現が必至であるとの認識のもと、2007年に「観光基本法」を全面改訂して制定されたのが「観光立国推進基本法」です。当該法律の第16条には、以下の条文が記されています。

第十六条 国は、観光の振興に寄与する人材の育成を図るため、観光地及び観光産業の国際競争力の強化に資する高等教育の充実、観光事業に従事する者の知識及び能力の向上、地域の固有の文化、歴史等に関する知識の普及の促進等に必要な施策を講ずるものとする。

『観光立国推進基本法』

かかる条文は、わが国における観光教育の意義が明示されたもので、観光系学部・学科・コースを持つ大学にとっては、自らの社会的使命と存在意義をより深く銘記する契機になったものです。わが国における観光系大学は、2000年以前は8大学(立教大学、東洋大学など)に留まっていましたが、小泉内閣における2003年の「観光立国宣言」を嚆矢としてその数は急増し、2021年時点では、学部・学科に「観光」「ツーリズム」「ホスピタリティ」を含むものだけでも48大学53学科を数えています。まさに観光系大学は、国策の下で発展してきたという経緯があるのです。

しかし、国が観光系大学に対して「観光人材」の育成を求める一方で、観光系大学の卒業生が観光産業界に就職していないことが問題視されています。これは「観光産業」を狭義に把捉していることにも起因しますが、当該産業への就職率が20%前後に留まっているとの見解が観光庁によって示されており、またこれを改善するための具体的なカリキュラム案も提示されています。こうした現状に鑑み、わが国における今後の「観光教育」がいかなる指針のもとで進むべきか、「観光教育」の「スタンダード化」を模索することを目的に執筆されたのが、本書『観光教育とは何か』です。本書は、専門や大学を異にする8名の著者によって執筆されたもので、かなりの温度差はあるものの、各人が実施している観光教育の実践内容や、観光教育のスタンダード化に向けた私見が記されています。

本書で最も興味深かったのは、遠藤竜馬「大学における観光教育のスタンダード化」です。遠藤は、まず観光教育を「観光産業の実践的なニーズに応じた人材を提供し、業界の維持運営ひいては将来的なイノベーション発展に寄与するため」の教育と定義し、「職業的人材育成」の側面が強いことを指摘します。この点については、前田武彦「観光教育のスタンダード化への一般理論」では「職業としての観光教育」として定義されています。他方で遠藤は、かかる業界の「ニーズ」に応じた人材育成が、実際問題として実現不可能であることを指摘します。それは、わが国における観光系大学が、圧倒的に「低中選抜型大学」に集中していること、言い換えると、偏差値の低い大学に集中しているために人材育成以前の問題が立ち現れているからだと言います。

少子化と大学全入化が叫ばれる昨今、一部は定員割れの危機にさえ瀕しているその種の大学には、観光教育の充実以前に越えねばならない多くのハードルが控えている。すなわち、入学定員の確保という待ったなしの生存問題への対峙と、それと裏腹をなす入学者の学力・資質の多様化—より直截にいえば「低下」である。学力それ自体の低下よりさらに深刻なのは学習意欲の低下であり、授業内容にすら無関心な学生たちをいかにして学びへと振り向けるかという、社会のニーズに即した人材の育成という視点に照らせば二歩も三歩も手前の段階で日々格闘しているのが、低中とりわけ低選抜型大学における教育実践の偽らざる実情なのだ。

遠藤竜馬(2013)「大学における観光教育のスタンダード化」前田武彦編『観光教育とは何か』

幸か不幸か、和歌山大学は「低選抜」大学に分類されない大学だとは思いますが、第一志望に落ちた学生、つまり第二志望以下の大学として入学する学生は少なくありません。「観光人材」の育成以前に、学生のモチベーションが高くないという現状は、観光系大学に共通して見られる現状であるのかもしれません。

加えて遠藤は、そもそも狭義の観光産業が、観光系大学を卒業した学生を厚遇するだけの用意がなされているかについても疑問視します。遠藤が指摘する通り、狭義の観光業界の多くは極めて小規模な事業体で、パーマネントの雇用者も少ないのが現状です。また安田晋平・前田武彦「観光系大学生の就職実務のスタンダード化」では、観光業界の向くタイプとして「ストレス耐性」のある人が挙げられています。つまり、観光産業界が「ブラック」であることが宣言されているのです。そのような業界への就職を「強要」することが観光系大学の役割かというと、観光学研究科に籍を置く身としては心苦しい思いがします。

観光業界の「ニーズ」、地域の「ニーズ」に表象される、実践的で即戦力となる「観光人材」の育成を、現在の観光系大学は担わされています。しかし「ニーズ」を追求することだけが、すなわち大学の役割であり、はたまた「学術」なのかどうかについては、改めて問い直す必要があるでしょう。他方で、国の「おかげ」で発展した経緯を持つ観光系大学が、完全に「ニーズ」から距離を置くというのも考えものです。国家、産業界、地域の板挟みの中で、今後の観光系大学がいかなる方向を向いていくべきなのか、日々格闘していく必要があるでしょう。

『観光教育とは何か―観光教育のスタンダード化 (神戸国際大学経済文化研究所叢書)』(前田武彦)の感想 - ブクログ
『観光教育とは何か―観光教育のスタンダード化 (神戸国際大学経済文化研究所叢書)』(前田武彦) のみんなのレビュー・感想ページです。この作品は2人のユーザーが本棚に登録している、アビッツから本です。
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