『文化地理学講義』森正人(2021)新曜社

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管理者Sの読書録 #22

文化地理学における学説史総覧―地理学から人文学を照射する

風景は特定の人びとのものの見方とテクノロジーによる歴史的産物である。それはまた特定の人びとを越えた集団において普遍的な、道徳的、文化的な基準となっていく。それはヘゲモニーなのである。

森正人(2021)『文化地理学講座』

本書『文化地理学講座』は、バークレー学派における「伝統的な文化地理学」から、1990年代における「文化論的転回」を経た「新しい文化地理学」、さらには2000年代初頭の諸研究にまで踏み込んだ、文化地理学の学説史がまとめられた一冊です。物質性、複雑系、異種混淆性、身体性、モビリティー、アクター・ネットワーク理論などの諸概念が手際よくまとまっていたほか、これらの概念がいかに文化地理学の文脈で適用・議論されてきたのかという学術動向も提示されていました。広範にわたる学説を、ここまで簡潔にまとめている森先生の仕事ぶりには頭が下がります。勉強になりました。

本書では様々な概念が提示されていますが、結局のところ本書の主題は「西洋形而上学の人間と事物、主体と客体の二元論、二項対立への一連の批判」、つまり「人間中心主義の批判」をいかに実践していくかという点に収斂されるものと思います。現前とする空間や風景、そしてその風景を見る〈私〉の視覚(「視覚表象」)は、所与のものではなく、文化的な価値観や複雑な社会的プロセスを経て構築されている。かかる「文化の網」が、誰によって、いかにして形づくられているのかを探究することが文化地理学の仕事であり、それを実現するための「概念」という道具を提供することが本書の大きなテーマであったものと思料します。正直言って、後半になるにつれて内容が抽象的になっていき、もはやファンタジーとも思えるような行論も散見されましたが、「普遍・不変的とされた」前提を何としてでも切り崩してやろうという、人文系研究者の悪戦苦闘ぶりを感じた一冊でした。

著者の森先生ですが、和歌山大学観光学部の非常勤講師もなされています。僕も学部時代、森先生の講義を受講していました。「あとがき」に、本書が三重大学と神戸大学の講義内容をもとにまとめたものとありますが、和歌山大学の「観光と宗教」、 “Cultural Studies for Tourism” 、 “Tourism & Landscape” の講義内容ともかなり被っています。

学部時代の専門科目で最も面白かった講義は、森先生の”Cultural Studies for Tourism” の講義です。この講義を受講して文化研究に興味を持ちましたし、今の自分の研究の基礎にもなっています。「大学院の選択に困ってるなら相談にのるよ」と声をかけて頂いたのは良い思い出です。森先生は僕のことなど覚えていないでしょうが、僕にとっては本当に尊敬する先生の1人です。

ただ1つだけ、学部時代の講義で発言された内容に首を傾げたことがあります。それは3.11に関連して、「僕はあれ以来、東北には行かないようにしてるんです。東北の魚も食べないようにしてるんです」という言葉です。正直、驚きました。

どのような意図があったのか分かりません。ただ森先生が、あまりにも「権力」なるものを敵視しすぎている結果の発言だったのではと、今になって思います。

先述の通り、本書の主題は、西洋形而上学を中心とする既存の二項対立を解体することにありました。他方で、本書における「権力」は極めて静的に映ります。「権力も作り替えられるのである」など、若干の留保はなされていますが、権力なるものが「ある」というのは不動のようで、そしてそいつは、極めて強大で、支配的で、抑圧的であるというように、常に否定的に語られます。カルスタ特有の、あらゆる物事を権力批判に帰すという考え方は理解しますが、権力批判ありきで議論を進めると、それこそ議論の内容が狭義的なものに陥るのではないかと強く感じます。というか、「権力」なる集合的表象を切り崩すことも、実践していくべきなのではと思います。

最も残念なのは、本書の中で多様性、差別、排除などについて、権力批判を通してとことん考え抜かれているのに、結局「東北」という集合的表象を用いて、森先生自身が差別的な発言をされていたことです。

僕は今、尾久土研究室という、森先生が嫌いそうな「自然科学」「科学技術」を専門とする研究室に所属しています。文化研究も魅力的。でも、ドゥルーズ=ガタリなどのポスト構造主義の論客が、自然科学の用語を濫用して「ソーカル事件」で告発されたことも知っている。文化研究の考え方を下敷きにしながらも、自然科学的な思考で実証的に研究を進めたい。それが今の僕のスタンスになっています。その意味で、森先生との出会い、尾久土さんとの出会いは、まさに「出来事=事件」だったのかもしれません。

『文化地理学講義ーの誕生からポスト人間中心主義へ』(森正人)の感想(1レビュー) - ブクログ
『文化地理学講義ーの誕生からポスト人間中心主義へ』(森正人) のみんなのレビュー・感想ページです(1レビュー)。作品紹介・あらすじ:世界がコロナの大禍に見舞われ、人と物の移動や国境が厳しく問い直される今。既存の政治や文化に囚われず大地と人の関係を問う方法はあるのか。空間・風景・場所・自然から地理を捉える文化地理学の歴史...
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