管理者Sの読書録 #24
調査者は「研究者」でなく、「人間」としての自覚を持て!
誤解のないように申し上げておきますが、僕は決して「地域との濃いかかわり」を手放しで勧めるものではありません。「フィールド・ワークのススメ」というより、どちらかというと黄信号の「トマレ」です。だって、フィールドワークでの濃いかかわりは、往々にして生涯をかけたものになります。お互いに相手の人生の物語の一部になるかもしれないという重い選択なのです。でも、誰しも体はひとつしかないし、人生は一回きり。とても、それだけの責任がとれない場合があることをよく自覚して、簡単には「濃いかかわり」の側に踏み切らないぞ、と自分に言い聞かせておくぐらいでちょうどいいのです。
安渓遊地(2008)「フィールドでの『濃いかかわり』とその落とし穴」宮本常一・安渓遊地『調査されるという迷惑』
本書『調査されるという迷惑』は、宮本常一の「調査地被害」の1章をベースにしながら、安渓氏が自身の経験をもとに、フィールドワークの陥穽を赤裸々に描いた一冊です。100頁あまりの薄い本なので、フィールドワークに興味のある人は一読をおススメします。
僕が学部時代に書いた卒論も、フィールドワークの手法を取り入れました。また現在、民俗調査にも足を突っ込んでいるため、今後もフィールドワークを続けていくことになると思います。正解のないこの調査法ですが、唯一、調査する際の態度に十分配慮することは常に意識しています。高慢な姿勢で調査に臨むことはありませんが、やはり多少は厚かましく聴き取りしなければならない時もあります。また、良い聴き取りデータを収集するために、したたかに相手を持ち上げたり、戦略的な友好関係を築かんとする時もあります。
でも、これが本当にむつかしい。疲れるし、心を痛めるし、調査後は「もうしたくない!」と感じることも多々あります。相手を持ち上げながら議論を膨らませ、いつ核心に迫るか、そのタイミングを虎視眈々と模索し、また次のインフォーマントを紹介してもらえる流れをいかに作るかを考える。おまけに、地方に行くと方言が聞き取りにくいという問題がある。慣れの問題でしょうが、コミュ症にとって、聴き取り調査は過重労働です。まあその分、新たな発見に出会った時の喜びは非常に大きいですが。
調査者は、「研究者」というよりも、まず「人間」としてなすべきことは何か、人間として当たり前の振舞いをせよというのが、本書の骨子であろうと思います。
