『イメージの〈楽園〉』山中速人(1992)筑摩書房

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管理者Sの読書録 #31

ハワイにおける「太平洋の楽園」幻想イメージの誕生

近代の社会にあっては、この個人は特定のエスニック・グループの成員としてのアイデンティティをもつと同時に、メディアによって拡張された「広域社会(グローバル・ビレッジ)」の成員でもある。したがって、現代のエスニシティは、その成員の意識の所在とは関係なく、メディアによって再生産され、再規定されたものとならざるを得ない。やや強調していえば、メディア文明という近代における時代の普遍的モードが、この時代の地域社会やエスニシティ形成の本質と不可分に関係している以上、地域社会やエスニシティを構成する諸要素のある部分は必然的にメディアによって与えられることは自明だといってよい。メディアが創るエスニシティこそ、この時代の民族集団がもつ「実像」の本質といってもよいであろう。

山中速人(1992)『イメージの〈楽園〉』筑摩書房(pp. 218-219)

 本書『イメージの〈楽園〉』は、ハワイにおける「太平洋の楽園」幻想イメージがいかにして構築されてきたのかを、文化研究に近い立場から議論した一冊である。本書の枠組みは、Boorsitinによる「擬似イベント」に着想を得ているものと思わわれ、観光産業とメディア産業の共犯関係(「観光・メディア産業複合体」)によって、ハワイにおける〈楽園〉イメージが形成されたことが通時的に論じられている。具体的には、18世紀後半のJames Cookによるハワイ上陸から、20世紀末の日本人による観光ブームまでの約200年にわたるハワイの歴史が手際よくまとまっていた。

 本書に通底するのは、「支配する男性アメリカ人」と「支配される原住民」という二項対立で、支配するアメリカ人によって一方的にハワイの楽園イメージが欲望・生産・消費されていったという、典型的な(?)カルスタの行論が用いられていた。特に興味を惹いたのは、アメリカによるハワイの支配構造と本土への情報発信内容が倒錯していたという指摘である。例えば、原住民の文化であるフラを踊ることはキリスト教会によって徹底的に禁止されていた一方で、外部からの有力者や観光客に対しては公然と「見せ物」として演じられていたこと(p. 40)。同じくキリスト教の影響で、現地人は肌を露出することを厳しく戒められていた一方で、本土では露出的な衣装を着た原住民が映画やミュージカルで再現されていたこと(p. 143)。観光開発を進めることを目的に農地や湖沼を潰したことで、実際には勤勉に農作業をしていた現地住民に対して、怠惰な原住民というステレオタイプを押し付けていったこと(pp. 84-85)などが挙げられていた。

 また、かかる楽園イメージが生産される過程において、人口の多くを占めていた日系人やアジア人が、メディア映像の中から排除されていたとの指摘も興味深かったし(p. 102)、ネトウヨがよく持ち出すIsabella Birdが、かなり偏向的な思索で原住民を把捉していたとの指摘も勉強になった(p. 57-63)。

 読み物としては面白いのだが、全体的な議論を俯瞰すると、些か内容が粗いようにも感じた。例えば、1970年代の「エスニシティ革命」において、「ハワイ人」は伝統的な文化に価値を見出すようになったとあるが(pp. 184-185)、ここでの「伝統」を、単に「フラ」や「チャント」にだけ措定するのは、本書の議論としては粗雑に見える。前段までは、アメリカとの不均衡な支配関係によって、ハワイにおける「アメリカ化」の進行が指摘されているが、後段になっていきなり「伝統」なる言葉を持ち出されていることで、あたかもアメリカによる支配以前の「伝統」が存在したかのようにも取れる行論になっている。また資本主義の権化である観光が、ハワイの文化を変形させていったとの行論が全体的に用いられているが(ヒロ・ハッティの事例など留保はある)、そのことは否定しないにせよ、支配される先住民の受動性をとかく強調する指摘は首肯しがたい。著者の言う「エスニシティ革命」における伝統とはいったい何なのか、恐らくそれは、原住民がアメリカによって高圧的に支配されつつも、彼/彼女らが主体的に文化を選び取ってきた残滓のはずである。イメージと権力の関係は興味深いテーマだが、もう少し降りたところにある文化の実態を拾い上げて欲しかったと感じる。

 また、1992年の著作であることに鑑みると仕方ないが、ハワイ観光をするのは男性であるというステレオタイプが、暗黙裡に包含されていたように思う。本書で議論されるのは「無垢で情熱的な現地の女性」であり、それを求めるのは本土の男性であるという行論が、しばしばとられている。しかし現在のハワイ観光を見ると、特に日本の場合、いわゆる「女子旅」の数も増加しつつあるわけで、かかるイメージ発信だけでは機能しない部分も生じているように思う。実際、JTBによるオンラインツアーを見ると、ターゲットを女性にしているのか、「オシャレ」や「安全・安心」が全面的に押し出されている。観光主体が変化することによって、本書で議論されている「楽園幻想」も後景化しているように感じた。

 終わりに、天文関係者にとってのハワイといえばTMTであり、一般にはハワイ原住民によって反対運動が過熱している問題で知られている。本書の議論に沿ってかかる問題を俯瞰してみると、著者が最後に指摘する、日本人(に限らないが)によるエスニシティ意識の低さがピークに達したところに顕現した問題として把捉できるように思う。著者は、日本人観光客によって執筆されたハワイに関する書簡を引きながら、次のように指摘する。

ハワイにやってくる多くの日本人にとって、意識にあるのはハワイの美しい自然だけなのである。彼らの目には、ハワイの安住の地として生活している多くの先住民の存在が見えない。この投稿者の文章には、すばらしい自然は観光客のためにあるので、先住民は消えてなくなればよいといいたげな傲慢さと差別意識が読み取れるのである。

山中速人(1992)『イメージの〈楽園〉』筑摩書房(p. 215)

かかる差別意識を天文学者が持っているとは信じたくないが、少なくとも意識下においては、「観測するためのハワイ」という、一種の傲慢さが存在するのではないかと思う。観光地としての「楽園幻想」は、今や日本国内の都市リゾートにも付与されつつあるため、必ずしもハワイに行く必要はなくなっているし(ただし、ハワイへの観光客数は年々増加している)、先述の通り、「楽園幻想」そのものが後景化しているように思う。しかし観光とは違う文脈の中で、支配者/被支配者という不均衡関係の所産が引き継がれているようにも見える。ハワイにおけるアストロツーリズムを勘案するに際して、かかる視点は重要になってくるのではないかと思料する。

参考

山中速人(1991)「エスニック・イメージの形成と近代メディア――ハワイ先住民のイメージ形成におけるメディア・観光産業の影響と支配」『放送教育開発センター研究紀要』6, 1-48.

『イメージの「楽園」―観光ハワイの文化史 (ちくまライブラリー)』(山中速人)の感想 - ブクログ
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