『脱学校の社会』Illich,I.(1971). [東洋・小澤周三訳]東京創元新社

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管理者Sの読書録 #32

学校化されることで現出する新たなる貧困

どこででも市民は学校教育の潜在的カリキュラムによって、科学的知識に裏付けられた官僚機構は効果的で、温情的であるという神話を信じ込まされていくのである。どこででも、この潜在的カリキュラムによって生産を増加すればよりよい生活が得られるという神話が生徒の頭の中に徐々に浸み込まされていく。そして、どこででも、潜在的カリキュラムは、自分でやる能力を台無しにしてしまうほど他人からのサービスを受ける(消費する)ことを人々に習慣づけるとか、人間疎外を引き起こす生産とか、安易に制度に頼ることとか、あるいは制度の序列化を認めることなどを助長する。教師がそれとは反対の努力をしても、また、どのようなイデオロギーが学校を支配しようとも、学校の潜在的カリキュラムは、このすべてを行なっているのである。

Illich, I. (1971). [東洋・小澤周三訳]『脱学校の社会』東京創元新社(p. 138)

私の同期(大学院生!)に、大学に行くことを「学校に行く」と言う人がいる。大学院生にもなって、大学を「ガッコー」呼びしているのは残念の一言なのだが、それが実態である。Illichは、学校を「特定の年齢層を対象として、履修を義務づけられたカリキュラムへのフルタイムの出席を要求する、教師に関連のある過程」と定義している。蓋し、冒頭の「特定の年齢層を対象として」を除けば、わが国の大学の特徴と真に合致する。各講義を受講する際は学生証をかざすことが要求され、また大学教員を「先生」呼びすることが常態化しているわが国の大学を見れば、「学校」と呼びたくなる気持ちも分からなくはない。今の多くの大学生にとって、大学は高校の延長線上にしか過ぎないのである。

本書『脱学校の社会』の要諦は、学校が、無意識化に人々を現代社会の常識に順応するよう馴致させているとともに、「学歴」という見かけ倒しの称号を欲求させる観念を幾何級的に再生産する権力装置である、という点に収斂される。かかる点をIllichは、消費社会論を踏まえながら論を転じている。

学校は、漸進的に消費をふやすという神聖なレースに新参者を導き入れる入会の儀礼である。学校はアカデミックな牧師が忠実な信者たちと特権や権力の神との間の調停役をつとめるなだめの儀礼であり、中途退学者たちに教育的に未発達であることの贖罪の山羊という烙印を押し、彼らを生贄にする罪滅ぼしの儀礼である。

Illich, I. (1971). [東洋・小澤周三訳]『脱学校の社会』東京創元新社(p. 89)

われわれは、国民皆学のエートスに基づく近代的学校制度を通して、「学校に行かなければならない」「学校に行かないやつは落第者」だという観念を植え付けられている。学校に行くことが、社会的地位を得るための必要条件であるとされているし、学校に行けない貧困層は、学校に行っていないことに対して引け目を感じてしまうのである。しかし学校に行ったら行ったで、「カリキュラム」という名の厳格な制度が、徹底的に内部化されてしまう。そこで設えられているのは、官僚制的な学校が用意する限られた問題群であり、生徒たちの自由は完膚なきまでに疎外されている。制度に従うことが常態化した主体は、その後、学校以外の諸制度(例えば政治制度)も容易に受け入れる体になってしまう。つまり、教授されることが当たり前となった子羊たちは、自らで思考する力を簒奪されてしまうのである。このことをIllichは「近代的貧困」と呼び、「学校化」の最大の弊害であると断じている。

50年前に書かれた著作であるため、今になって見れば、首肯できない箇所もかなりある。例えばIllichは、「学校」の代替として、生徒の自由を体現する専門特化型の教育制度(「自由教育」)を提唱する。しかしこれは、わが国の「ゆとり教育」が成功したとは見なされていないように、「自由」すぎることが、却って自律的に思考する能力を奪ってしまう可能性があることに気付けていない。ある程度は先達による導きも必要なわけで、教授されることをすなわち「悪」と決めつける行論は、些か偏向すぎる。また教育のマッチング制度も提唱しているが、プライバシーの尊重や個人情報保護が声高に叫ばれる現代社会にあって、こんなことを公然と推奨することは今のご時世では考えられない。学校制度批判としては素晴らしいが、それを代替とする計画を乱暴に挙げすぎている点は共感できないし、議論の精緻化が求められるものと思う。

「学校化」がバカを生産するならば、大学はバカに気付ける空間でなければならない。それなのに、いつもまでも「ガッコー、ガッコー」と言ってる大学院生が存在するのを見るにつけて、日本社会のお先は真っ暗だと感じざるを得ない。Illichが生きていれば、きっと今の日本を「学校化」の最たる例として紹介してくれることだろう。せめて、Astrotourism Labの学生には、「学校化」の呪縛から解き放たれて欲しいと切に願う次第である。

『脱学校の社会 (現代社会科学叢書)』(イヴァン・イリッチ)の感想(35レビュー) - ブクログ
『脱学校の社会 (現代社会科学叢書)』(イヴァン・イリッチ) のみんなのレビュー・感想ページです(35レビュー)。この作品は566人のユーザーが本棚に登録している、東京創元社から1977年10月20日発売の本です。
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