管理者Sの読書録 #35
「雨上がり眩しく光る友の笑み」
すべきことが増えてくると、現実逃避のためか、どうも他のことに目がいってしまって、肝心なことが前に進まない。今日だって、仕事を前に進めようと意気込んでいたのに、知らない間に小説に手が伸びていた。
もう一つ良くないのは、仕事が増えるとどうしても閉じこもりがちになり、社会性が著しく低下してしまうことである。ただでさえ人と話すことが苦手なのに、忙しくなるとこの傾向に拍車がかかってしまう。数日前から沖縄に来ているが、終日、琉球大学附属図書館に籠もりきりで、誰とも会話していない。
本書『ドミノ』は、そんな管理者に対する戒めの一冊であったように思う(恩田陸氏の小説は、これまでいくつか読んでいるけれども、ずば抜けて構成が(良い意味で)飛躍していた)。舞台は7月の東京駅で、本来は無関係であった人々が、東京駅周辺に集まっていたことと「どらや」の袋をきっかけにして、一気に混じり合っていく様が描かれている。その光景はまさにカオスで、展開としてもぶっ飛んでいるのだが、暗に「社会に出ろ」というメッセージが主張されていたように感じた。
本書の登場人物にとって、「この日」は特別な日である。営業強化月間の成績締切日、ミュージカルのオーディション日、俳句仲間とのオフ会、カップル同士の壮絶な修羅場、テロリストによる爆弾爆破実験日など、彼/彼女らにとっての特別な日が重なったことによって「事件」が起きている。つまり、彼/彼女らが非日常空間で、日常とは違う時間を過ごしたことが「事件」発生に繋がったのである。誰とも話さず、図書館に籠りきりの管理者の周りでは、こんな「事件」に巻き込まれることもないし、目撃者にもなれないのである。
社会ネットワークの希薄化とか、社会コミュニティの崩壊だとかいわれるけれども、それ以前に、有機的な社会関係が取り持てるのは、そこに非日常的な体験をせんとする人間が存在するからである。個々人間が自分の殻に閉じこもっていては、社会的ネットワークを形成することなどできない。そんな当たり前のことができていないのが、現代社会なのだろう。
新たな刺激によって研究の種が見つかるはずなのに、そうした環境に身を置けない状況に追い込まれているのは、本当に皮肉だなあ。
