『近代性の構造』今村仁司(1994)講談社

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管理者Sの読書録 #39

近代の特徴である「テクノ=エコノミー体制」を再考する

エコノミーとテクノロジーという、古代や中世では異質で相容れない二つの要素がひとつに合体すること自体が、まさに近代性なのだ。この「接合」の親和力を産みだす条件は次のとおりである。㈠機械論的世界像―古代のテクネーに代る近代テクノロジーが生んだのは、機械論である。世界全体を数量的に処理する世界了解図式があってはじめて、近代特有のテクノロジーが生れた。㈡生産主義的=計算的理性―主観性を原理として「世界を構築する」という生産的=構成的な精神が、近代理性の方法主義を支える。㈢進歩時間論―未来を先取りして計算しつつ、計画を立て実行するという行為は、未来に向かって前進し、進歩する時間意識を含む。単に前方を望むだけでなく、決断して成果を蓄積するのが、近代の進歩と発展の時間意識である。

今村仁司(1994)『近代性の構造』(p. 48)

本書『近代性の構造』は、革新の象徴である「テクノロジー」、及び成長と発展に体現される「エコノミー」が融合した「テクノ=エコノミー体制」の時代、いわゆる「近代」と呼ばれる社会構造について、各時代の思想史や思想家の言説を踏まえながら考察した、まさしく「近代論」の教科書的な一冊である。各時代の思想をここまで手際よくまとめている著者の仕事ぶりには、頭の下がる思いがした。

著者における近代性の把捉方法は、「進歩時間論」と「機械論的世界像」の2つに収斂される。前者は「企てる精神」のことで、換言すると、不確実性に満ちた未来を先取りする心性を指す。前近代の時間意識は、伝統に従って生きる「円環時間」であり、それは決して未来に開かれていなかった。しかし近代人は、「意思」なる精神態度を会得しながら、未来に向かってひたすらに自己投企する直線的な時間感覚を持つに至った。と同時に、時間を数学的に処理可能とする心性も生じてくる。過去、現在、未来は等質的な時空間であり、細分化や集計が可能でなければ「企てる精神」は芽生えない。つまり、時間や空間を含め、あらゆる自然物を機械的に分割し、量的存在に還元する精神「機械論的世界像」が生まれたのである。したがって、時代区分は異なるにせよ、「進歩時間論」と「機械論的世界像」は不可分な関係として表出したのであり、かかる要素を以て近代の特徴である「テクノ=エコノミー体制」が可能になったと著者は指摘する。

また著者は、特に「機械論的世界像」を軸にしながら、人間主体の誕生、換言すると「市民社会」の誕生についても考察する。デカルトの言う「コギト・エルゴ・スム」に象徴される近代精神は、機械論的に分割不可能となる土台の要素「個人的主体」の存在を与件としている。自由、平等、友愛、人権といった観念も、分割不可能な「個人」が誕生して初めて生ずるものである。つまり「機械論的世界像」は「人間機械論」であり、それを構成する「市民社会」も否応なく操作可能な機械論になる。それだけに留まらず、計算合理的機械である「市民社会」は、かかる特性から自身を自由に改変することが可能であり、またそれを構成する「人間」に対しても変革を要求する。われわれは、こうした市民社会の要求に応じて、禁欲的で倫理的な自己を創造してきた。このような自己規律的で、有機的な市民社会は、理論的には自由主義的なイデオロギーを獲得したが、その内実は、排除と差別を助長、強固にするシステムになる。市民社会の要求に適応できないものは、異分子として排除され、差別されるのである。大義名分だけ立派な「市民社会」の現実は不平等性に満ちているのだ、という辺りが、「機械論的世界像」を重視する著者の指摘の概要であろう。

「近代論」の教科書としては大変な良著であるとは思うが、議論の断片性に少し引っ掛かるところがある。特に気になったのが、後半の「排除と差別」の議論で、排除や差別が生じる背景を「人間の社会化や社会性が不幸の源泉(p. 211)」であるとする思索は、その正当性は別に置くとして、ここまでの議論との一貫性を見出すことができない。つまり、人間の本質である「社会性」に排除と差別の根源を仮託してしまうと、上で見た近代性の特徴が吹っ飛び、いつの時代でも生じ得るものという行論になってしまう。「機械論的世界像」を軸に「排除と差別」の内実を議論していたのだから、人が存在するところには必ず排除や差別が起きるという、凡庸な結論を最後に持ってきて欲しくはなかった。

またそもそも論ではあるが、近代の特徴が切断線を引くことである点は理解するが、結局のところ著者も、「前近代/近代」の分断線を引いて議論を展開している。われわれ人間は何かを分割してしか観念できないのであれば、「近代」という思想そのものも何だか疑わしく思えてくる。「進歩時間論」や「機械論的世界像」も、実のところ相対的なものでしかないのではないかと思うと、時代区分に拘泥する思索がとたんに胡散臭く思えてきてしまった。まあ天文学的に見れば、どの時代も同じに違いない。

『近代性の構造 (講談社選書メチエ)』(今村仁司)の感想(12レビュー) - ブクログ
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