管理者Sの読書録 #44
恋愛と友情という名の「支配」の連鎖
何人と付き合ったか、が話題になることはあっても、何人の友達がいるか、そのうちの何人から真に心を開かれ、わかり合えているかが語られることはない。恋はいつ終わるとも知れない軽いものなのに、長く、ずっと続く友情の方は、話題になることが、ない。
辻村深月(2017)『盲目的な恋と友情』新潮文庫(p. 219)
筆者による小説を初めて読んだ。本書のレビューを見ると、「ホラー」だとか「痛々しい」とか書かれているが、何てことはない。解説の山本文緒氏による『恋愛中毒』の方が、よっぽどスリリングがあって、快楽が得られる小説であった。オチは月並みだし、恋愛ホラー特有の鬱感にも欠ける。ただ、所々に見える蘭花と留利絵の裏設定みたいなのが、実は面白い。
「恋」パートでは、蘭花が茂実に執着し、落ちぶれていった彼と最後まで別れられない様が描かれるが、ここは男と女のドロドロ劇という感じで、特に真新しさを感じない。ゾクッとするのは、蘭花が乙田と出会った時に意識する「彼となら、なれるのだ(中略)この相手でなければと執着してもらえる、彼の、唯一無二の、運命の女に(pp. 120-121)」なる表現。違和感のある句点と倒置文で、執拗に独占欲を燃やす蘭花のオカシサが表現される。
蘭花のオカシサは、「友情」パートで彼女の母親からも吐露される。「蘭花、あの子、情緒不安定なところがあるから、傍にいて、支えてあげてくれないかしら(pp. 223)」 蘭花は、恋に盲目的になっているのではなく、肉親から見てもオカシイ少女であることが示唆される。そして、留利絵によっても「病気だ」と表現される。
最後まで読んだ後、もう一度、「恋」パートで警察が来たシーンを読み返す。すると蘭花は「誰かに突き落とされたのか、とでも言いたいのか(p. 129)」と心情を綴る。そして狂ったように泣いている。
個人的に一番恐怖だったのは、蘭花と留利絵との同居シーン・生活内容が、ほとんど描かれていないこと。後半になって初めて「麻婆ナス」が登場するが、それまでの文脈においてほとんど食卓シーンが描かれていない。彼女たちが住居の中でどんな生活をしているのかほとんど分からない。というか、実のところ蘭花は、ほとんど自宅に帰っていなかったのではないか。実際、茂実との交流を除けば、彼女が何をしているかの具体的な記述が少ない。また留利絵への印象は「潔癖」で片づけられている。留利絵が無造作に玄関に置いたネックレスは、蘭花が不在であり続けたことの隠喩であったように思う。
留利絵の妄執に焦点が当たりがちだが、本書で一番オカシイのは蘭花で、そのことは菜々子や美波に見透かされている。そして、菜々子、茂実、蘭花、留利絵へと繋がる、執拗な「人間支配」への欲望が描き出されている。個人的には留利絵を応援していたが、できるなら彼女には最後まで一緒に犯罪を隠し続ける嘘をついて欲しかった。
全体として、色々なところに伏線が張られた繊細な小説であることは間違いないが、それを読み解くのは少し骨が折れるし、あまり意味あるとは思えない箇所もある。山本文緒氏の焼き直し感も否めない。まあ、また機会があれば筆者の小説を読んでみたい。
